2005-02-17 第162回国会 衆議院 予算委員会 第14号
田中内閣総理大臣以来、三十年間、十七人の総理大臣が出たわけでありますが、この四六%という下落率は断トツのワーストワンであります。そして、きのう現在の株価が一万一千六百円であります。これは、就任当時と比べまして一七%低い価格になっているわけでありますが、これも実は、ここ三十年間の十七人の総理大臣の中ではワースト第四位の記録であります。
田中内閣総理大臣以来、三十年間、十七人の総理大臣が出たわけでありますが、この四六%という下落率は断トツのワーストワンであります。そして、きのう現在の株価が一万一千六百円であります。これは、就任当時と比べまして一七%低い価格になっているわけでありますが、これも実は、ここ三十年間の十七人の総理大臣の中ではワースト第四位の記録であります。
○国務大臣(中尾栄一君) 私は、広中委員に率直に申し上げますが、二十余年前に田中内閣総理大臣がグアム・ドクトリンというのを当時のアメリカの大統領ニクソン氏と発表したことがございました。その八項目かと私は記憶するんですが、それは定かでございません。 我々お互いにオープンソサエティでいくことを堅持する。
そういう中にあって私が思い出しますのは、どうしましても、あの十数年前に田中内閣総理大臣とそれからニクソン・アメリカ大統領との間にグアム・ドクトリンというのが発せられたことがございます。
このような趣旨につきましては、昭和四十八年六月十三日の参議院本会議におきまして田中内閣総理大臣が答弁され、また昭和四十八年六月二十八日の参議院内閣委員会におきまして当時の内閣法制局長官がそれぞれ答弁をしているところであります。
それで不破委員が、ポツダム宣言にははっきりそう指摘しているじゃないか、「田中内閣総理大臣 ポツダム宣言を受諾しなければならないような国情だったのです。」、「ポツダム宣言を修正するような力はなかったのです。」と、こういうことを予算委員会で答えているわけだ。
古い発想でありますけれども、かつて田中内閣総理大臣は日本列島改造ということを提言されました。あの当時、時が時でもありましたし、また考え方がどうもちょっと、これは悪口ではありませんが、土建屋的なニュアンスがあったものでございますから非常な批判を受けましたけれども、やはりあの考え方は全国総合開発計画に通ずる考えであろうと思います。
また、昭和四十七年十一月十三日、当時の田中内閣総理大臣が参議院の予算委員会において、まさしく相対的なものだという言葉、表現を用いて御説明になっております。
それから、四十八年三月十三日の田中内閣総理大臣の言葉の中にも「攻撃的な兵器であるということが、第一に、持たないという憲法に背反をするという、」云々、そういう言葉が出てきます。
その経過をいろいろ考えてみますと、これは四十七年九月二十一日に三井物産の石黒氏が田中内閣総理大臣のところに行くわけですね。そうすると田中内閣総理大臣は、丸紅からトライスターを頼まれているということは言わないで、所管の大臣に言っておいたから、そのうちに所管の大臣から何分のさたがあるであろう、こういうことを言うているわけですね。
○峯山昭範君 その現在在任しているということ、いまおっしゃいましたが、現在問題になっておりますのは、当時の田中内閣総理大臣が——当時の総理大臣ですね——職務権限に関していわゆる収賄をしていたということに、まだなってないわけですが、もしなったとすれば、当然この六十六条の連帯責任が国会に対して発生すると、こういうふうに私は考えるわけですが、この点どうです。
いいですか、実は私は昭和四十七年十一月八日にたまたま田中内閣総理大臣に質問しておるのですよ。実はこの当時は大変に国産化という問題が急ピッチで進められておったときでありまして、このままでいきますと産軍癒着があるのではないかということで私、大変に心配して、そして質問をしたのです。その当時はこういう質問になっております。
そういうことはなるほど裁判で有罪になったらそれはあかんよというような意味があろうとは、それこそ夢にも知らぬ何とやらと言いまして、政治家が出国を含めて金氏は自由ですと大統領親書を持ってやってきた、その金鍾泌氏が田中内閣総理大臣に会って言うたということは、当然素直にそれが守られ得ると国民が思っておったことは当然であります。
○野田哲君 次に、総理に重ねて伺いたいと思いますが、昭和四十七年の十二月二十二日、−当時の田中内閣総理大臣から国有林野事業の改善について林政審議会に対して諮問を行って、同日付で、つまり昭和四十七年十二月二十二日付で答申が行われている、この事実を承知されておりますか。——総理大臣答えてください。いや、知らないなら知らないでいいんです。
四十七年十二月二十二日に林政審の会長に諮問を発して、林政審議会は即日総会を開いて、その答申は、同じく四十七年の十二月二十二日に林政審総会の議を経て田中内閣総理大臣に答申を行っておるわけです。
こういう情勢の中で、田中内閣総理大臣は金脈事件で失政の責めを負われて退陣をなさいました。その後にあなたが内閣総理大臣として登場なさってくるわけです。
○議長(河野謙三君) 本日、田中内閣総理大臣から、次の通知に接しました。 内閣は、本日総辞職をすることに決定いたしましたから、国会法第六十四条によって、この旨通知いたします。 —————・—————
本日、田中内閣総理大臣から、内閣は総辞職することに決定した旨の通知書を受領いたしました。 ————◇————— 内閣総理大臣の指名
本日午前十時五分、田中内閣総理大臣から、前尾議長あてに 内閣は、本日、総辞職をすることに決定いたしましたから、国会法第六十四条によって、この旨、通知いたします。 との通知がありました。 したがいまして、本日の本会議において内閣総理大臣の指名を行なうこととし、その手続等は、後刻本日の議事とあわせて御協議願うことといたします。 —————————————
たくさんの問題がございますが、きのう、たとえば田中内閣総理大臣が、総理大臣になってから不動産の取得はありませんかとさっと聞かれたときに、これは……というような顔をして、いやあります、ありますと言うて、軽井沢の土地を買いました。買いましたが、自分の友人で、安く買ったのですと言うて、最初虚をつかれたようなことでありましたが、言い直してアリバイをつくったといいますか、そういうことなんであります。
「田中内閣総理大臣」「私は先ほどから述べましたように、ほんとうに解明さるべきものはすべて解明していただきたい、こう考えております。私は不正に対して関知をいたしておりません。」「いつの日にかこの問題は解明しなければならないことだと心に期してはおりました。」